はいこんばんはRM307です。今週は読書回、今回は村上春樹作の「中国行きのスロウ・ボート」。
村上さんが初めて出された短編集。たぶん読むのは三回目ぐらいだろうか。あまり記憶に無い。

中国行きのスロウ・ボート
村上 春樹
中央公論新社
1983-05-01


初期の短編という事で、なかなか難しい。意味らしい意味を理解できた作品は一つも無いと思う。
ただ、初期の作品でもやっぱり読みやすいですね。あと全体的に村上春樹スタイルというか、
こういう表現村上さんがよく使うよね、村上春樹らしいな、と思う書き方が目立っていた気がする。
たとえば112ページや、「土の中の彼女の小さな犬」の冒頭で書かれている雨についての描写、
並んで置いてあったスーツケースを見て「主人を待つ年老いた犬のような」という比喩などなど。
もちろん他の作品でも感じられる事だけど、ことこの短編集においてはその濃度が高いような。
つばき先生の初期に書かれた短編を久しぶりに読み返した時に受けた印象と近いかもしれない?

表題作から「ニューヨーク炭鉱の悲劇」まではよくわからなかった。僕は昔から変わらないな!
歳をとれば理解できるようになるかと思ったけど。まぁ人生経験が乏しいままだからな・・・。
カンガルー通信」はユニークだ。「やあ、元気ですか?」という親しい友人への手紙のような
一文から始まり、いきなり動物園のカンガルーについての話が始まる。近況報告かと思いきや、
そこから「僕」の自己紹介が始まったかと思うと、この「僕」の手紙は、手紙の相手がデパートの
苦情係へ寄せたクレームの返信だという事がわかる。さらにこの「僕」の手紙は手紙では無く、
カセットテープに音声を録音したものだとわかる。今の時代で考えるとこれ、ちょっと怖いなw
しかも語りがいかにも親しげだし、「あなたと寝る事ばかり考えている」なんて書かれているし。
昔読んだ時は何とも思わなかったけど、今読むとストーカーチックでちょっとぞわっとしますね。
もちろんすとーかーだ!と糾弾している訳ではありませんよ。僕だって似たようなものなので。
村上さんもそういう部分を受け取って欲しい訳では無いだろうし。こちらも意図はわからないけど。

最後の午後の芝生」、この作品は結構好きだな。主人公が丁寧な手順で芝生を刈る描写が良い。
FAを描く時の自分と重ねて見ているのかもしれない。いや主人公ほど丁寧じゃないと思うけど。
あと、主人公が芝刈りをする際にラジオをつけて音楽を聴くのだけど、仕事中に聴けるの良いなー!
四年前に同じく村上さんの「遠い太鼓」という旅行記を読んでつばき先生と感想を話していた時に、
つばき先生が『バンコクのスーパーで音楽を聴きながら商品を棚に並べてる少年を見て「働くなんて
こうあるべき」と心底思った』と仰った事を思い出した。僕も音楽を聴きながら働きたい・・・。
僕は無音状態が寂しくて、移動中は必ず音楽を聴いている。自転車に乗っている時も聴きたいくらい。
自宅でも机に向かっている時は常に何かが流れている状態。あとはお仕事の時も聴けたらなぁ。
もう在宅で食べていける道を模索するしか無いかもしれないけど(僕には無理だろうけど・・・)。
ちなみにこの小説の後半は電車に乗っている時に読んでいたのだけど、読み終わってしまった後に
スマホとMP3プレーヤの電池が切れ、25分間完全に何もする事が無くなってしまいかなり後悔した。
もったいなかったなぁ。あと本か漫画を一冊でも持って行っておけば良かった・・・無駄な時間だった。

話が逸れました。作品の終盤、主人公は芝刈りをした家の主人にいざなわれ、娘の部屋に入る。
そこで娘の洋服タンスの引き出しを開けるように言われ、娘についてどう思うか問われる。
主人公は自信無く答え、その後解放される。特に何か起こる訳でも無く、やがて物語は終わる。
このへんもどういう意味が込められているかわからない。家の主人は何が言いたかったのだろう?

一番好きなのは「シドニーのグリーン・ストリート」。児童文学的でお話も楽しくわかりやすい。
(「」という雑誌の「子どもの宇宙」という増刊号で発表された作品らしい。なるほどだからか)
どうも、大人向けの話を理解できない悲しい僕鳥です(「愛を知らない悲しい不死鳥」のパロ)。
大好きな羊男も登場するしね。内容を完全に忘れていたので嬉しかったなぁ。お得感があった。
羊男はやっぱり良いなぁ。僕の自画像、先日の「そうだ、FAを描こう」では仮面をつけたけど、
羊の皮も被るようにしても良いかもしれないな。それぐらい羊男の事が好きになってしまったな。

以上、最初はいまいちかと思いながら読んでいたけど、結果楽しめたので良かった。それではまた。