はいこんばんはRM307です。今週は読書回。今回は村上春樹作のエッセイ「村上ラヂオ」の感想。
以前村上春樹作品以外を読むと書きましたが、今週は忙しく、一日で読めそうなのがこの本しか
ありませんでした・・・。それに久しぶりに村上さんのエッセイを読みたくなっていたので。
本当はエッセイも出版された順に読みたかったんだけど、家には無かったので。短かったしね。

村上ラヂオ (新潮文庫)
村上 春樹
新潮社
2003-06-28


読むのは四年半ぶり三、四回目ぐらいで、内容もわりと覚えていたけど、やっぱり楽しかった。
一番印象に残っていた「柿ピー問題の根は深い」の、ピーナッツよりも柿の種の方が好きだけど、
自分の内なる欲望をできる限り抑え、(中略)自分の中に半ば強制的に「柿ピー配分システム」を確立し、そのとくべつな制度(レジーム)の中に、偏屈でささやかな個人的喜びを見いだしているのである。
という一文が結構好きだった。偏屈でささやかな個人的喜び、こういうの僕もわかる気がするな。
僕のFA作業における、ある種無駄とも言えるこだわりも、村上さんのそれに近いかもしれない。

跳ぶ前に見るのも悪くない」に登場する大江健三郎さんの本のタイトル「見るまえに跳べ」、
思えば、僕も新都社ではいつも見る前に飛んでいる気がする。絵を描き始めた事もそうだし、
先を考えずに「おなかのへるうた」や「百合少女交響曲♪」の連載を始めてしまった事もそう。
村上さんのような人生を懸けた冒険のような大きなジャンプと比べると、大したものでは無いけど。
人生における大ジャンプ、というのものは未だ経験していない。そんな度胸はまるで無くて・・・。
僕も上手く着地できる自信が無いし。だからっていつまでも立ちすくんでいてはいけないのだけど。
あと、結婚している人たちもいわば「見る前に跳んでいる」状態じゃないかと思ったのだけど、
そのへんはまぁ経験の乏しすぎる僕にはわからないか。僕だったら不安が大きすぎて跳べないな。

教えられない」に登場する夏目漱石の、えらい人だから英語も知っているだろうと思って
教わりにきた子どもに、病の床に伏せっていたのにも関わらず、胃の痛みをおさえ懇切丁寧に
初級英語を教えていたエピソード、良いですねぇ。これだけで夏目漱石に好感を持ってしまうな。
僕は子どもの頃は勉強が得意で、教えるのもわりとできたのだけど、今は下手になってしまった。
僕も村上さん同様、かみ砕いてわかりやすく他人に説明するというのが不得手だなぁ・・・。

へんな動物園」では、中国の動物園で「猫」という名札のかかった檻を発見したエピソードが。
中には普通の猫が寝ていたという。昔の中国の動物園にはそんなユニークなものがw面白い。

恋している人のように」に書かれている、若い頃の恋愛の記憶が「それが僕らの残りの人生を
けっこう有効に温めてくれる」という一文、これは村上さんの他の文章でもよく目にしますね。
子どもの頃の事を抜きにして、僕は両想いだったという経験が一度、それもほんのわずかな時間
しか無いし、それも今や別に思い出したくもない、消してしまってぜんぜん構わない記憶なので、
村上さんの仰るように有効に働く事は残念ながら無いな・・・。そしてこうも書かれている。
ものを書く上でも、そういう感情の記憶ってすごく大事だ。たとえ年をとっても、そういうみずみずしい原風景を心の中に残している人は、体内の暖炉に火を保っているのと同じで、それほど寒々しくは老け込まないものだ。
なるほどな。これは恋愛以外にも言えるかもしれないと思った。僕も九年以上FAを描いてきて、
描いている時の喜び、お返事をいただけた時の喜びの記憶は常に自分の中に存在していて、
そのおかげで、今も毎月FAを描き続ける事ができている・・・と思うのですがどうでしょう。
自分では、絵に関してはまだ老け込んでいないはず・・・とも思ったりするのだけど・・・。
人間としてはきっと早々に寒々しく老け込んでしまうだろうな・・・まぁ仕方が無いか・・・。

けんかをしない」にも印象的な一文がある。ひどい言葉を投げかけられるよりも駄目になる事。
世の中で何がいちばん人を深く損なうかというと、それは見当違いな褒め方をされることだ。そういう褒め方をされて駄目になっていった人をたくさん見てきた。人間って他人に褒められると、それにこたえようとして無理をするものだから、そこで本来の自分を見失ってしまうケースが少なくない。
これはすごくヒヤッとした。僕も作品や作者さんを褒める事が多いので。もちろんその言葉に嘘は
無いし、決して過剰に持ち上げたりもしない、思った事をそのまま伝えようとしているだけだ。
しかし、それがもしも見当違いな意見だったら、相手の進むべき道を誤らせる意見だったら・・・。
以前新ブログに書いたこの記事を思い出した。僕も不死鳥先生を褒めた事で、不死鳥先生が
道を誤ってしまったのでは無いか、絶クレを描いた事で余計な回り道をしたと感じていて、
その事を後悔されているのでは無いか・・・と以前はよく不安だったので。今でもそう思うけど。
褒める事、喜んでもらいたいと思う事。それはポジティブなところから生まれるものだけど、
安易に考えてはいけないのだな、言葉には慎重にならなくてはいけないな・・・と改めて感じた。
まぁ僕の言葉なんかで進む方向を決定したり動かされたりする人はほとんど居ないとは思うけど。

あと文章は比較的読みやすいけど、「ドーナッツ」に登場する「止揚」の意味はわからなかった。
いつもわからない言葉は検索しながら読んでいるけど、調べてもいまいち理解できなかった・・・。


以上、しばらくは創作も忙しくないし、次はまた小説を読めたら良いな・・・。それではまた。