はいこんばんはRM307です。今週は読書回、村上春樹のエッセイ「村上朝日堂の逆襲」の感想。
読むのはだいぶ久しぶり、たぶん3回目ぐらい。「村上朝日堂」と比べて1編が倍くらいあります。
村上さんが35~6歳頃に書かれた作品だけど、文章スタイルは今と変わらず読んでいて心地良い。
「噂!」では、村上さんが秘密のペンネームを二つ持っていると書かれている。何それ気になる!
基本的に好きな作者さんの文章はすべて読みたいので、こっそり別名義を持っているというのは
非常に困るな!新都社でもそうなんだけど、だからといって全作品に目を通す事もできないし。
以前はよく、実はつばき先生も誰にも教えずにないしょで文芸に新作を投稿しているのでは無いか、
と考えて一人もだもだしていた。もしもそれを後から知ったらめちゃくちゃ後悔するだろうからね。
文章の場合は特に、隠された場合なかなか見つけ出す事はできないので悩ましいところです。
かといって漫画なら楽だという訳でも無く、昔一度おやゆび主任も別名義があると仰っていて、
誰にも特定されておらず、僕も結局見つけ出せないまま新都社を去ってしまわれた。残念だったな。
話が逸れましたが、村上さんの別名義の文章もぜひ読んでみたいですね・・・いつか教えて欲しい。
「何故私は床屋が好きなのか」では、当時藤沢に住んでいた村上さんが、引っ越す前の行きつけの
千駄ヶ谷の床屋さんに三週間に一度、片道一時間半かけて切りに行っていた話が書かれている。
それは新しい床屋さんで髪型の細部に至る説明をするのが大変だから(それに説明したとしても
その通り切ってくれるとは限らないから)なのだけど、僕だったら往復三時間はかけたくないw
お金も時間ももったいないし。嫌でも引っ越し先の床屋さんと辛抱強く付き合っていくと思う。
でも髪型の注文にしろ会話にしろ、慣れている人の方がずっと楽で良いというのはよくわかる。
特に会話、一時間弱もの間、他人と一対一のコミュニケーションを取り続けるのはしんどいよね。
あれだけトーク力の高いラジオパーソナリティの鷲崎健さんも、散髪中は一言も発しないらしい。
僕は中学三年生の頃からずっと同じ人に切ってもらっているから、沈黙も苦痛では無いけれど、
もし引っ越したり別の理容店なり美容院なりに移る事になったりしたらと考えると気が重いな。
みなさんは理容師さんや美容師さんとどんな会話をされていますか?そういうの結構気になります。
「オーディオ・スパゲティー」では、新発見や新発明に関する不思議について書かれている。
現時点では夢物語のような技術も、いつか当たり前のように存在するようになるのだろうか?
未来なんて暗い悪夢のようなものだけど、そういう部分では楽しみな部分もあったりします。
「間違いについて」では、夜中にトイレに行こうとした村上さんが間違えてシャワーを浴びて、
その後「あれ、まだトイレに行きたいけど身体の具合がおかしいのかな」と不思議に思う事が
頻繁にあると書かれている。村上さんでもそういう事があるんだなぁ。僕だけじゃないんだ!
僕もよく「あれをしよう」と思って30秒後には何をするつもりだったか忘れてしまったり、
何かを数えている時に話しかけられ、数がわからなくなり最初から数え直したりする事が
しょっちゅうある。まぁ後者は間違いとは違うんだけど、残念な脳をしているという話です。
これは軽めのエピソードだけど、みなさんが引くような間違いもたくさんあるのですよ・・・。
「不用物の集積について」では、使わないのにボールペンが大量にあり、でもまだ書けるので
捨てるに捨てられないというエピソードが。たしかつばき先生のだんなさんもそういう物は
捨てずに取っておくと仰っていたような気がする。僕もそういう精神はとてもよくわかると思う。
まぁ僕の場合は身体の芯から貧乏性が染みついているだけなんだけど。でももったいないよね。
僕は以前断捨離をしたのだけど、その数年後に「あれが必要だけどたしかどこかにあったよな」
と思って探したら、断捨離の際に処分した事を思い出してがっかりした、という事があったので、
それ以来なかなか思い切って物を捨てられなくなっている。まぁそのほとんどは不要なんだけど。
ちなみに本はたまにネットで古本屋に買い取ってもらっている。大した額にはならない無いけど。
『「うずりゆく」号の悲劇』では、識者から有用なパンフレットを送ってもらって勇気づけられた
村上さんが、お礼状を書こうと思っていたけどずるずると先延ばしにしていたら四年経っていた、
と書かれていて驚いた。そういうのってもし感謝していたら必ず送るものでは無いのだろうか?
僕は相手に送らないと気持ち悪いし、いつまでも引っかかってもやもやしてしまうのだけど。
僕と違ってプロ作家の村上さんなら、何を書いて良いかわからない訳では無いだろうし・・・。
お返事が無い時、僕だったら「お返事をしたくない何かがあるのでは無いか」と考えてしまう。
たとえばFAや長文感想なら、それ自体に何か問題があったり、含むところがあるから返信には
至らないだと思う。もちろん感謝して当然だと言いたい訳では無いんです。ただ、僕の中では
感謝=返信は当たり前のように同時に存在しているものなので、感謝はしていても返信はしない、
という事が上手く理解できないのだ。相手がその時多忙だったりしたらぜんぜんわかるんだけど。
(最初から返信しないスタイルの作者さんは除く。以前は返信されていた作者さんが対象です)
理解できないので、返信が無い場合はこちらに落ち度があったと考えるのは当然の帰結になる。
繰り返すけど、FAや感想には返信、感謝するべきだと思っている訳では無いのです。伝わるかな?
こないだ某所でいただいたコメントでは、いまいち伝わっている自信が無かったのだけど・・・。
「グッド・ハウスキーピング」は、村上さんが若い頃に半年間だけ主夫をされていたエピソード。
https://www.gentosha.jp/article/12204/(現在は有料記事になっているみたいです)
僕も母よりも洗濯物の干し方に細かくてこだわりがあるけど、これも役割の話なのかもしれない。
山口昌弘さんという知人について書かれている「山口下田丸くんのこと」で面白かったのは、
村上さんのジャズバーで働いていた時は駄目だった山口昌弘さんが周りから褒められていたので、
その後にちゃんと「しかしもちろん山口昌弘は悪い男ではない。」とフォローもされていますw
久しぶりに千葉から東京に住む事になった「バビロン再訪」では、専業作家になる前の人々が
仕事を終えて家族も寝た夜中の台所で小説を書く「キッチン・テーブル作家」についての記述が。
その中で、「風の歌を聴け」と「1973年のピンボール」にも少し触れられている。この作品の時は
一日に1、2時間しか書く時間が無かったので、断片の寄せ集めのような小説になったとの事。
たしかにこの二作と専業作家になってから書かれた「羊をめぐる冒険」は大きく違うように思った。
初期の作品から感じた違和感はそれか。そういう生活環境も作品に大きく影響していたのだな!
「13日の仏滅」では、結婚前に占い師から「これはひどい組み合わせですね」と言われた話が。
その後に「結婚してみてから本当にひどい組み合わせだということが判明したわけだが」と
書かれているのが面白いwでもそれで結局四十年以上いっしょに生活しているのだからすごい。
他人と何十年も共に仲良く暮らせるなんて・・・。あと、最後の方のこの部分も好きだった。
何ともひどい話のような気もするけど、でも村上さんは奥さんに当たったりはしないからえらい。
「雑誌の楽しみ方」に書かれている、多くの似たり寄ったりの雑誌が出版されている状況での、
「いったい誰に午後四時半の薄闇と午後四時三十五分の薄闇を区別することができるだろう?」
という部分もクールな表現で良いな。僕ももし機会があったら漫画の中とかで引用しようっと。
以上、内容を忘れていた部分も結構多く、なかなか楽しめたので良かったです。それではまた。
読むのはだいぶ久しぶり、たぶん3回目ぐらい。「村上朝日堂」と比べて1編が倍くらいあります。
村上さんが35~6歳頃に書かれた作品だけど、文章スタイルは今と変わらず読んでいて心地良い。
「噂!」では、村上さんが秘密のペンネームを二つ持っていると書かれている。何それ気になる!
基本的に好きな作者さんの文章はすべて読みたいので、こっそり別名義を持っているというのは
非常に困るな!新都社でもそうなんだけど、だからといって全作品に目を通す事もできないし。
以前はよく、実はつばき先生も誰にも教えずにないしょで文芸に新作を投稿しているのでは無いか、
と考えて一人もだもだしていた。もしもそれを後から知ったらめちゃくちゃ後悔するだろうからね。
文章の場合は特に、隠された場合なかなか見つけ出す事はできないので悩ましいところです。
かといって漫画なら楽だという訳でも無く、昔一度おやゆび主任も別名義があると仰っていて、
誰にも特定されておらず、僕も結局見つけ出せないまま新都社を去ってしまわれた。残念だったな。
話が逸れましたが、村上さんの別名義の文章もぜひ読んでみたいですね・・・いつか教えて欲しい。
「何故私は床屋が好きなのか」では、当時藤沢に住んでいた村上さんが、引っ越す前の行きつけの
千駄ヶ谷の床屋さんに三週間に一度、片道一時間半かけて切りに行っていた話が書かれている。
それは新しい床屋さんで髪型の細部に至る説明をするのが大変だから(それに説明したとしても
その通り切ってくれるとは限らないから)なのだけど、僕だったら往復三時間はかけたくないw
お金も時間ももったいないし。嫌でも引っ越し先の床屋さんと辛抱強く付き合っていくと思う。
でも髪型の注文にしろ会話にしろ、慣れている人の方がずっと楽で良いというのはよくわかる。
特に会話、一時間弱もの間、他人と一対一のコミュニケーションを取り続けるのはしんどいよね。
あれだけトーク力の高いラジオパーソナリティの鷲崎健さんも、散髪中は一言も発しないらしい。
僕は中学三年生の頃からずっと同じ人に切ってもらっているから、沈黙も苦痛では無いけれど、
もし引っ越したり別の理容店なり美容院なりに移る事になったりしたらと考えると気が重いな。
みなさんは理容師さんや美容師さんとどんな会話をされていますか?そういうの結構気になります。
「オーディオ・スパゲティー」では、新発見や新発明に関する不思議について書かれている。
①ある必要があって、この①と③は何とか理解できても、②は難しすぎてよくわからないという話。具体的に書くと、
②その必要を充たすための然るべき理論的考察なり試行錯誤なりがあって、
③発明なり発見なりに至る。
①映像をテープに簡単に録画できると便利である、という事になる。たしかにわからない。あと最近よく考えていたのだけど、テレビなりPCなりで
②ムニャムニャムニャ、
③ヴィデオ・レコーダーができた。
収録された番組を観る、これって一種のタイムマシンだよね。過去の姿を今観られるなんて!
そして天気予報という技術は未来予知。どちらもすごい事だよなぁとしみじみ考えてしまう。現時点では夢物語のような技術も、いつか当たり前のように存在するようになるのだろうか?
未来なんて暗い悪夢のようなものだけど、そういう部分では楽しみな部分もあったりします。
「間違いについて」では、夜中にトイレに行こうとした村上さんが間違えてシャワーを浴びて、
その後「あれ、まだトイレに行きたいけど身体の具合がおかしいのかな」と不思議に思う事が
頻繁にあると書かれている。村上さんでもそういう事があるんだなぁ。僕だけじゃないんだ!
僕もよく「あれをしよう」と思って30秒後には何をするつもりだったか忘れてしまったり、
何かを数えている時に話しかけられ、数がわからなくなり最初から数え直したりする事が
しょっちゅうある。まぁ後者は間違いとは違うんだけど、残念な脳をしているという話です。
これは軽めのエピソードだけど、みなさんが引くような間違いもたくさんあるのですよ・・・。
「不用物の集積について」では、使わないのにボールペンが大量にあり、でもまだ書けるので
捨てるに捨てられないというエピソードが。たしかつばき先生のだんなさんもそういう物は
捨てずに取っておくと仰っていたような気がする。僕もそういう精神はとてもよくわかると思う。
まぁ僕の場合は身体の芯から貧乏性が染みついているだけなんだけど。でももったいないよね。
僕は以前断捨離をしたのだけど、その数年後に「あれが必要だけどたしかどこかにあったよな」
と思って探したら、断捨離の際に処分した事を思い出してがっかりした、という事があったので、
それ以来なかなか思い切って物を捨てられなくなっている。まぁそのほとんどは不要なんだけど。
ちなみに本はたまにネットで古本屋に買い取ってもらっている。大した額にはならない無いけど。
『「うずりゆく」号の悲劇』では、識者から有用なパンフレットを送ってもらって勇気づけられた
村上さんが、お礼状を書こうと思っていたけどずるずると先延ばしにしていたら四年経っていた、
と書かれていて驚いた。そういうのってもし感謝していたら必ず送るものでは無いのだろうか?
僕は相手に送らないと気持ち悪いし、いつまでも引っかかってもやもやしてしまうのだけど。
僕と違ってプロ作家の村上さんなら、何を書いて良いかわからない訳では無いだろうし・・・。
お返事が無い時、僕だったら「お返事をしたくない何かがあるのでは無いか」と考えてしまう。
たとえばFAや長文感想なら、それ自体に何か問題があったり、含むところがあるから返信には
至らないだと思う。もちろん感謝して当然だと言いたい訳では無いんです。ただ、僕の中では
感謝=返信は当たり前のように同時に存在しているものなので、感謝はしていても返信はしない、
という事が上手く理解できないのだ。相手がその時多忙だったりしたらぜんぜんわかるんだけど。
(最初から返信しないスタイルの作者さんは除く。以前は返信されていた作者さんが対象です)
理解できないので、返信が無い場合はこちらに落ち度があったと考えるのは当然の帰結になる。
繰り返すけど、FAや感想には返信、感謝するべきだと思っている訳では無いのです。伝わるかな?
こないだ某所でいただいたコメントでは、いまいち伝わっている自信が無かったのだけど・・・。
「グッド・ハウスキーピング」は、村上さんが若い頃に半年間だけ主夫をされていたエピソード。
こうしてみると世間一般では「主婦的」と考えられている属性のうちの多くのものは決して「女性的」ということと同義ではないように僕には思える。つまり女の人が年をとる過程でごく自然に主婦的な属性を身につけていくわけではなく、それはただ単に「主婦」という役割から生じている傾向・性向にすぎないのではないかということである。だから男が主婦の役割をひきうければ、彼は当然のことながら多かれ少なかれ「主婦的」になっていくはずである。この部分で、以前つばき先生がリツイートされていたこの漫画を思い出した。性差では無く役割。
https://www.gentosha.jp/article/12204/(現在は有料記事になっているみたいです)
僕も母よりも洗濯物の干し方に細かくてこだわりがあるけど、これも役割の話なのかもしれない。
山口昌弘さんという知人について書かれている「山口下田丸くんのこと」で面白かったのは、
村上さんのジャズバーで働いていた時は駄目だった山口昌弘さんが周りから褒められていたので、
そこで先日ためしに山口昌弘に引っ越しを手伝ってもらったのだが、やはりぜんぜん役に立たなかった。十年前とちっとも変わっていない。そしてやはり僕の判断が間違っていなかったことが証明された。と実証しちゃったところがおかしかった。最後の一文が良いですねwひどいけど結構好きです。
その後にちゃんと「しかしもちろん山口昌弘は悪い男ではない。」とフォローもされていますw
久しぶりに千葉から東京に住む事になった「バビロン再訪」では、専業作家になる前の人々が
仕事を終えて家族も寝た夜中の台所で小説を書く「キッチン・テーブル作家」についての記述が。
その中で、「風の歌を聴け」と「1973年のピンボール」にも少し触れられている。この作品の時は
一日に1、2時間しか書く時間が無かったので、断片の寄せ集めのような小説になったとの事。
たしかにこの二作と専業作家になってから書かれた「羊をめぐる冒険」は大きく違うように思った。
初期の作品から感じた違和感はそれか。そういう生活環境も作品に大きく影響していたのだな!
「13日の仏滅」では、結婚前に占い師から「これはひどい組み合わせですね」と言われた話が。
その後に「結婚してみてから本当にひどい組み合わせだということが判明したわけだが」と
書かれているのが面白いwでもそれで結局四十年以上いっしょに生活しているのだからすごい。
他人と何十年も共に仲良く暮らせるなんて・・・。あと、最後の方のこの部分も好きだった。
僕は個人的にはあえて仏滅に結婚式をあげるようなタイプの人々を好んでいる。「仏滅だろうが何だろうが俺たちはうまくやるんだ」という信念があれば何だってうまく行くはずだ――という気がする。責任は持てませんけど。
「趣味の禁煙」に書かれている、村上さんの禁煙のノウハウについてのこの部分も面白かった。
こっちは辛い思いをして禁煙しているのだから、何もおとなしく良い子にしている必要はない。普段は言えないようなことも禁煙のイライラを利用してどんどん言っちゃうのがいちばんである。(中略)人と人のつきあいというのはそれくらいのスリルがないことには面白くもなんともない。禁煙しているのは本人の問題であって、他人は関係無いじゃないかw当たられた方は損だよw
何ともひどい話のような気もするけど、でも村上さんは奥さんに当たったりはしないからえらい。
「雑誌の楽しみ方」に書かれている、多くの似たり寄ったりの雑誌が出版されている状況での、
「いったい誰に午後四時半の薄闇と午後四時三十五分の薄闇を区別することができるだろう?」
という部分もクールな表現で良いな。僕ももし機会があったら漫画の中とかで引用しようっと。
以上、内容を忘れていた部分も結構多く、なかなか楽しめたので良かったです。それではまた。