はいこんばんはRM307です。読書回の今週は小野不由美作「月の影 影の海」下巻の感想。
上巻を読み終わった後と連休中に読んでいました。下巻は楽しくてするする読めちゃったな。
上巻の感想:


【あらすじ】
負傷と体力の限界から行き倒れた陽子は、ねずみの姿で人語を解する半獣の楽俊に拾われる。
頭の切れる楽俊から、海客である陽子は雁国へ行く事を勧められ、ともに旅立つ事になった。
しかしまたしても妖魔に襲われる陽子。妖魔を屠るも、傷を負い倒れた楽俊を前に逡巡する。
楽俊は自分が雁国へ行く事を衛士に話さないだろうか、戻ってとどめを刺すべきだろうか、と。
一度は楽俊を見捨てて逃げた陽子だったが、陽子自身が人を信じる事と人が陽子を裏切る事は
関係無いと気づく。ついに蒼猿を退け、雁国に渡った陽子は、そこで楽俊と再会したのだった。

やっぱり楽俊が登場すると心底安心するなぁ。前回も書いたけど僕はアニメから入ったので、
鈴村健一さんのお声を聴くだけで「楽俊だ」と嬉しくなってしまうくらい楽俊が好きだった。
「悪い海客は国を滅ぼすと言われた」と言う陽子に対し、あっさり「迷信だ」と言った時や、
自分が来た蝕の被害が大きかった事に陽子が心を痛めていた時の蝕についての説明、
陽子が楽俊を見捨てて逃げた後に再会した時の「逃げて良かったんだ、捕まったらどうする、
逃げろと言って財布を渡せば良かった」というセリフなど、さらっと言えるのが本当にすごい。
楽俊にしてみれば当たり前の事を言っているだけなのかもしれないけど、こちらまで救われる。
たぶん同情される訳では無く、当たり前のように言ってくれるのがとてもありがたいのだよな。
「おいらは陽子に信じてもらいたかった。だから信じてもらえりゃ嬉しいし、信じてもらえなかったら寂しい。それはおいらの問題。おいらを信じるのも信じないのも陽子の勝手だ。」
このセリフもすごいなぁ。漫画やらブログやら絵板やらでも書いたけど、僕は「自分の言葉が
相手に届かない」と悩む事が多い。今でも。どうしたら楽俊みたいに考える事ができるだろう。
相手に直接伝えはしないけど、僕はやっぱり信じて欲しいと願ってしまう事が多いなぁ・・・。
相手の自由を尊重できていない。まぁ落ち込んでしまうのも仕方が無いと言えばそうなんだけど。
だってしょうがないよ、相手が好きなんだもの。そうやって開き直るのは良くない事だろうか?
「お人好しなんだ、楽俊は」
「そうかもな。だとしても陽子を見捨てて危険じゃないところにいるより、陽子といっしょに危険なところに行くほうが自分にとって値打ちのあることだと思ったんだ」
「まさか、こんなに危険だと思ってなかったでしょう?」
「だとしたら、おいらの見込みが甘かったんだ。それはおいらのせいで陽子のせいじゃねえ」
このやりとりも素晴らしい。僕だったら後悔したり、相手を恨めしく思ったりしてしまうかも。
七年前、僕という重くて厄介な存在を抱え込む事になってしまったつばき先生に謝罪した時、
つばき先生が「仕方の無かった事だと思う。ネガティブな意味じゃなくてね」と仰っていた。
何だかその時の事を思い出してしまった。僕もまた、つばき先生の優しさに救われていたのだ。

半獣を嫌悪する塙王の所為で働く事が許されず、高等教育機関にも通えなかったのにも関わらず、
「主上は悪い王じゃないけど少しばかり好き嫌いが激しい」と無下に批判しないのもすごい。
言葉の端々からも感じられるけど、やっぱり巧国が好きだったのだなぁ。貧しいし、職にも
就けないけどずっと住み続けていた訳だし。塙麟が失道と聞いた時も相当ショックを受けていた。
僕は日本に住み続けているけど、決してこの国を愛してはいないかもなぁ。言葉さえ通じれば、
どこへ行ったって良いと思っている。日本に住む事を選択しているというより、ただの妥協だ。

話を戻そう。楽俊の元に戻ろうとして、陽子が「楽俊を殺さなくて良かった」と涙するシーン、
「月の影 影の海」の最大の名場面ですね。アニメでは毎回ここでぽろぽろ泣いてしまう。
裏切られても良い、裏切った相手が卑怯になるだけ、裏切って卑怯者になるよりずっと良い。
ずっと前に、母とこの話の録画を観ながらごはんを食べていた事があった。当時母は職場の
人間関係で悩んでいて、そんな時にこのセリフを聞いて気持ちが楽になったと言っていたな。
ひとりでひとりで、この広い世界にたったひとりで、助けてくれる人も慰めてくれる人も、誰ひとりとしていなくても。それでも陽子が他者を信じず卑怯にふる舞い、見捨てて逃げ、ましてや他者を害することの理由になどなるはずがないのに。
この部分の「ひとり」の繰り返しも良いなぁ。読んでいて、孤独が伝わって泣きそうになった。

文章でいうと、8ページの「村人か、獣か、妖魔か。いずれにしても選択肢が増えるだけで、
結果が増えるわけではない」や、236ページの「自分を卑下して満足してるんじゃない」が好き。
後者は、子どもの頃に観て「そうか!僕がやっているのもただ卑下して満足しているだけだ!」
とはっとした事があったな。あと七年半前にもはてなダイアリーの記事で一度使った事がある。
それと「畢竟」という言葉はこの作品で知って、当時意味がわからず辞書を引いた思い出が。

意味がわからないといえば、楽俊が陽子に子どもが宿る木「里木」を見せに行ったシーンで、
陽子はうなずき、ふとした疑問を感じたが、あまりにはしたない質問なので訊ねるのは思いとどまった。遊郭があったりするのだから、まぁそういうことなのだろう。
この部分がどういう事なのか、初めて読んだ子どもの頃はわかっていなかったなwと思い出した。

もう何度も親しんだ作品なので、この後のストーリーに関しては今さら語る事は出てこないかな。
なのであらすじも途中までにしました。面白い作品なのでぜひ読んでいただけると嬉しいです。

以上、とても面白かったです。楽俊が登場して得られるカタルシスは、他のどの作品と比べても
比較にならないほど大きくて、十二国記シリーズでも一番好きな巻かもしれない。それではまた。

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