はいこんばんはRM307です。読書回の今週は小野不由美作「東の海神 西の滄海」の感想。
十二国記シリーズの3作目。1作目と2作目にも登場した延王尚隆と延麒が主役の過去編です。
一応番外編らしい。延王が登極して20年後の話なので、1作目から数えると480年以上前になる。



【あらすじ】
暴虐の限りを尽くした前王が斃れ、次の麒麟も王を見つける事ができず、30年の月日が流れた。
国土は荒廃し、三百万居た民の数は十分の一になった。半ば廃墟と化した雁国にようやく待望の
新王が践祚して20年、地にはだんだんと緑が戻ってきていたが、前王の任じた奸臣はそのまま、
国土の復興を最優先とし、官吏の整理にまで手は回っていなかった。そんな国府から始まる。
王宮を抜け出しては城下でふらふらと遊ぶ延王尚隆、そして同じく政をさぼりがちな延麒六太
側近たちから叱責される日々だったが、ある時、元州が武器を仕入れているという情報を得る。
そしてそれと同じ頃、六太は更夜と再会する。昔一度だけ会った、妖魔と生きる人の子だった。
元州の射士となった彼と再会を喜ぶ六太だったが、更夜は赤子を人質に、六太を元州へと招く。
そこで待っていた元州の令尹斡由は、最初こそ漉水の治水の権、州候の復権を願っていたが、
政務を放棄していると聞いた王から実権を取り上げ上帝となる事を望み、兵を挙げていた。
麒麟を害されれば王も死ぬ。王が死ねば国が荒れる。尚隆は六太を救い出さなくてはいけない。


やっぱり面白かったけど、尚隆は普段からまじめに政務に取り組んでも良かったんじゃない?
と気になってしまった。街に下りて民衆と交流する事でわかった情報があって、それによって
犯人をすぐに特定できたり敵陣に潜り込めたりした事はもちろん良かったと思うんだけど、
解決できたから許容するという気にもなれなかった。冒頭から提起されていた治水の件は特に、
尚隆が早く決断していれば斡由にもつけ入る隙を与えなかったんじゃないかな・・・と思った。
最後、尚隆が六太に「任せろと言ったろう」と言ったけど、いまいち納得できなかったな。
民の声を聞くのは大事、それはわかる、でもここまでさぼる必要はあったのだろうか・・・?
昔は何も考えずにすんなり読めていたのだけど、今回はどうもすんなり受け止められなかった。

とぶちぶち言っていますが、切れ者の尚隆の事は好きなんだけどね。困窮していた国の為に
王宮の装飾をすべてはがしたり建物を解体したりして売り払い、国庫の足しにするところとか。
王宮は初代の王が天帝から賜ったとされ、取り壊すのははばかられて誰もやらなかったのに。
あとは「俺が王なんだから勝手にやらせてもらう」と言って、内乱になりそうなタイミングで
唐突に六官三公を罷免したり。ただこれには意味があった事が後々わかるのが面白いところ。
まぁ普段からしっかりしていれば周りをはらはらさせなかったのに、と思わないでも無いけど。
政務をさぼった罰として王と宰補の心得を書写させられている時に、一文一文ぜんぶ適当に
書き換えてやろうと無駄に悩んでいたところも面白い。六太の「朱衡ってかわいそう」もw
朱衡から叱られ、どちらが悪いかなすりつけ合っている時の尚隆と六太の「五十歩百歩という
言葉を知っているか?」→「五十歩の差は確実にあるって意味だろ?」というやりとりも良いw

尚隆が敵陣に潜入した時も面白かった。いつも尚隆がないしょで街へ抜け出す手引をしていて、
もし左遷されたら・・・と心配していた毛旋という兵を大臣クラスの役職に抜擢したところ、
尚隆が成笙に「首を取られないように気をつけろ、禁軍将軍は悪くない(元州士が徴兵する際に
「王の首を獲ったら禁軍将軍になれる」と言っていたのだ)」という伝言を残していったところ。
側近たちは生きた心地がしなかっただろうなぁ。でも本当に生死に関わる危機なのは尚隆で、
その状況でいつもと変わらず飄々と、そして大胆に動けたのがすごい。計り知れないな・・・。

本当に振り回される側近たちは可哀そうだw彼らも魅力的で、特に帷湍のエピソードが好き。
祭典のさなかに、登極に時間のかかった尚隆に「なぜもっと早く王にならなかったのか、
その間にこれだけの民が死んだ」と責めた。そして自分が処刑される事で、浮かれている官や
浮かれているであろう王に前王の暴虐を思い起こさせようとしたのだ。しかし尚隆は帷湍を
処分する事無く、逆に要職に抜擢した。日本の政治家にもこういう人が居たら良いのにな!w
そんな側近たちをそこまで位の高くない官に選んだ理由が驪媚によって語られたシーンも好き。
尚隆は適当に見えて、ちゃんと考えるところは考えているのだな。でももうちょっとまじめに(ry

本筋も面白いのだけど、また戦いが起こるのかという不安から司右府に民衆が集まった時の、
兵役に志願した人々のエピソード、州士が堤を切ろうとした時の兵士たちの視点もとても良い。
こういう描写がある作品は魅力的ですよね。本筋という大黒柱をしっかりと支える支柱になる。
丕緒の鳥」も十二国の世界の民が主役の話だったけど、同じくとても面白く魅力があった。


だんだん斡由の化けの皮が剥がれていくのも面白かったですね。最後に追い詰められるシーン、
この時の言動がこないだ規制された新都社の荒らしを思わせる。この作品を初めて読んだ時は
実際こんな人間は居るんだろうか、なんて思ったけど、本当に居るものなんですねぇ・・・。
斡由の本性がもっと早く露呈していれば、更夜が人を殺したりせずに済んだだろうにな・・・。

家が飢えるほど貧しく、口減らしとして親に捨てられた二つの世界の幼い子ども、六太と更夜。
ふたりは不思議な縁で邂逅する。更夜は声が石田彰さんだけど、そこまで好きでは無いかなぁ。
やっぱり罪人を妖魔に喰わせていたのがな。六太を逃してくれた女の人が殺されて悲しかった。
梟王から生き延びた亦信が死んでしまったのも、赤ちゃんが犠牲になったのも悲しかったな。
ただ、妖魔とともに暮らし、人々から忌み嫌われ殺されかける生活を送っていた更夜と妖魔が、
初めて自分たちを受け入れてくれると思えた斡由に出会った時のこの部分は胸にくるものがある。
「――更夜」
更夜は答え、名乗れる自分にささやかな感銘を受けた。名を持つ自分、それを尋ねてくれる人のあること、そんな場面を何度も夢見ていた気がする。
やっぱり子どもがつらい目に遭う話は創作でもキツいな。子どもはみんな幸せであって欲しい。

尚隆に対し、斡由に仇なせば妖魔に襲わせるという更夜。でも、最後に斡由が尚隆に後ろから
斬りかかった時は思わず妖魔を止めてしまった。その流れも良い。前フリが効いている(?)。
斡由は決して妖魔に触れようとはしなかったけど、尚隆は気にせず撫でてくれたのも良いシーン。

そして終章に書かれた雁史邦書の文章。尚隆は斡由を討った年に元号を「大化」から「白雉」に
改めている。これは日本の元号が大化から白雉に変わっていたからそれに倣ったのか、それとも
生涯で王の即位と崩御の二回だけ鳴く白雉という鳥を意識して名づけた、意味があるものなのか。
大元元年には、「乗騎家禽の令」を発し、妖魔を騎獣や家畜の一つとして加えて更夜との約束を
果たした。国を越えて、更夜が暮らしているであろう金剛山まで発布したのも良いですよね。
元号が「大元」に改められたのも元州を意識してなのかな。いつか尚隆や六太と再会して欲しい。
この部分は読むまですっかり忘れていたので、今回読んで「おおっ!」と思った。良かったです。


以上、不満を述べたところもあったけど面白かったです。最近感想文は一日、1時間半~2時間で
書いていたのだけど、今回は何だか難しくて二日、3時間以上かかってしまった。疲れた・・・。
まぁ大した文章は書いていないんだけどね・・・。つくづく感想が下手だ・・・。それではまた。

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