はいこんばんはRM307です。今回は村上春樹のエッセイ「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」。
読むのは4回目ぐらい。五年ぶりのはずだけど、かなり内容を覚えていた。もっと最近読んだっけ?
過去のツイートやブログを検索しても該当するものは無かった。それぐらい好きだったという事かな?
今年読んだエッセイの中では一番面白かったように思う。文章も文量もすごくちょうど良かった。
もし誰かに村上さんのエッセイを勧めるなら、最初はこの一冊にしたいと思った。おすすめです。
「もう十年も前のことだけど」の、筑紫哲也に似ているホームレスの人を見た話を何の気無しに
雑誌の担当者に話したら、週刊誌のグラビアにその人の写真が掲載されてしまった話にびっくり。
25年前の事だけど、この頃ってプライバシー無かったんだ!ひどい話もあったものだな・・・。
それとも相手に許可を取ったのだろうか?エッセイ内でそんなふうには書かれていなかったけど。
そうは思えないなぁ。僕も相当ひどい人間だけど、週刊誌の編集者なんて特にろくでもないしね。
「ボートはボート」では、野球観戦中の村上さんが同じファンの友人に悪口を言うのが面白い。
ひどいけど。「ムッ(○○のファンなので悪口を言うとムッとする)」という表現の繰り返しが好き。
「体罰について」の、「体罰が熱心さのひとつの方法論として独り歩きを始めた時点から、それは
世間的権威に裏付けされたただの卑小な暴力に変わってしまう」という部分はよく覚えていた。
殴る事で生徒に何か教えた気になっているとしたら、それは間違いだと思う。体罰は指導では無く、
恐怖によって立場が下の者を支配しているだけのような気がする。人間関係ですら無いよね。
以前もこのブログで書いたけど、一般企業で新入社員がミスをしたら殴る上司がどこに居る?
学校だけそれが許されるというのはおかしい。学校を悪い意味での特別な場所にしては駄目だよね。
僕は幸い叩かれたりした事は無かった(中学生の時に胸ぐらをつかまれた事はあった)けど、
小学六年生の担任の先生が、宿題や教科書を忘れた子を立たせて全員の前で豚鼻にさせる、
という罰はあって、それは嫌だったな。特に女子は可哀そうで、必死に抵抗していた子も居た。
それも今の時代なら体罰に入るかもしれないけど、当時は保護者もその罰を受け入れていたな。
「安西水丸の秘密の森」の、村上さんをクラブに連れて行った水丸さんが女の子とダンスさせ、
その事が誇張されて広まり幾人からがっかりされた、そしてその噂のルーツは水丸さんだった
という話、嫌だなぁw他のエッセイでも水丸さんが妙な噂を流していたと書かれていたけど、
冗談じゃなくて本当にそうだったんだな・・・。真っ先に七靴君の事を思い出してしまったよ。
そんな水丸さんを許している村上さんはすごい。僕は七靴君を笑って許そうなんて思わないな。
「趣味としての翻訳」では、翻訳は趣味だっと言いきるしか無い部分がある、と書かれている。
以前僕は「自分の中で漫画は仕事、FAは趣味のつもりで描いている」と言った事があったけど、
僕自身、自分が大した漫画を描ける訳でも無いくせに堂々と商業の作品を批判する事がある。
先日絵板に書いた「五等分の花嫁」と「ぼくたちは勉強ができない」とか。ただ、言い訳に
聞こえるかもしれないけど、この2作品に関しては、ゼロから生み出していない世界、他作品から
寄せ集めたつぎはぎだらけの服を着せられ、ないがしろにされているキャラが可哀そうだった。
まぁ何を言っても言い訳になりそうだからやめよう。どうもすみません、やっぱり僕が悪いです。
『村上新聞社と「〆張鶴」ツアー』では、新潟の村上市にある村上新聞社を訪れた村上さんたち。
「町の新聞」である村上新聞だけど、町が狭すぎるのであまり込み入った話を書く事ができない、
みんなが新聞を取ってくれなくなるかもしれない、広告も出してもらえなくなるかもしれない、
だからなかなか書きたい記事も書けない・・・という話が書かれている。どこも同じなんだな。
大手の新聞社もテレビ局も、結局は購読者や視聴者、スポンサーにそっぽを向かれたくないから、
主な購買層のご機嫌を損ねそうな記事をごまかしたり、スポンサーに忖度した報道をしたりする。
まぁこういう事は別にわざわざ僕が言わなくても、たくさんの人々が指摘しているから良いけど。
「傷つかなくなることについて」は、十代の頃何度も読んで「いつか僕も傷つかなくなるように
なれるだろうか」と思っていた。しかしあれから十年が経ち、今も毎日何かしら傷ついている。
だいたいは絵板に書いているので割愛しますが。それでも感受性が摩耗し、昔と比べたら確実に
厚かましくなっているけど。でもこうでもならない限り、僕は生き続けるのは難しかったと思う。
九年前、FAを描き始めた頃の僕の事をもしも好きになってくださった人が居たとしたら、今の僕を
受け入れがたく感じる事も多いかもしれない。嫌いになって離れていった人もきっと多いだろう。
その事を考えると申し訳無く思うし、昔の(まだ)良い子だった自分に戻りたいような気もする。
しかし好むと好まざるとに関わらず、これが今の僕なのだ。悪いけど、どうか許して欲しいと思う。
もちろん今の自分にあぐらをかいている訳でも、今の自分自身を肯定できている訳でも無いけど。
「文学全集っていったい何なんだろう」のラストはとても重く印象的だ。ここで簡単に解説できる
ものでも無いので、良ければ読んでみてください。僕も村上さんだったらその話は断るだろうな。
でも相手が自殺したなら、ショックでしばらくは何も書けないかもしれない。自殺では無いけど、
二年前、大好きだった作品が削除された時と同じように。村上さんが生きる世界はシビアだ・・・。
「文科系と理科系」の、アメリカの小説に出てきたという「たまたま男性用生殖機能をひとそろい
もって生まれてきたというだけの理由で、どうして車のトランスミッションを修理できると
みなされなくちゃならないんだ」という一文もよく覚えていた。いつか使ってみたいところだ。
僕も若いという理由だけで、アルバイト先でPCに問題が起こった際によく駆り出されていたので。
たしかにPCはよく使っていたけど、エラーやシステムの事を訊かれてもわからないんだよな・・・。
「真昼の暗黒の回転鮨」では、お客さんが少ない時間帯は作り置きせず、注文を取ってから握り
皿を流している回転寿司店でのエピソードが面白かった。たしかにこれは緊張しそうだwww
一人で黙々と食べられるのが回転寿司の良いところなのに、これじゃ回らないお寿司と同じだ。
僕は回らないお寿司を食べた事が無いけど、いちいち職人さんに注文しないといけないなんて
ずっと緊張しそうだなぁ。できれば一人で好きなものを適当に取って気楽に食べていたいよ。
僕が言いたかったのもまさにこういう事だったかも。しかし今日はよく絵板の話が出ますね。
そういえば先日くろすけ先生が「15年ぶりに回転寿司に行った」とツイートされていたけど、
僕も最後に回転寿司に行ったのは九年ぐらい前だな。幼なじみといっしょに食べたのが最後だ。
お寿司自体も最後に食べたのは六年前、スーパーのものを祖父といっしょに食べたんだった。
好きなんだけど、高いので自分から買う事はまず無い。どなたか良ければおごってください。
「梅竹下ランナーズ・クラブ通信❸」で、100kmマラソンの練習に明け暮れていた村上さんに、
奥さんが「どーして最近うちには夫婦の会話というものがないのかしら」と糾弾した話、これも
以前も何度もこのブログで書いているけど、羨ましいな・・・と思った。僕も結婚して二十年も
経つ相手に「話したい」と言われてみたい。しかし僕と話したい人なんて存在しないのだった。
「抜け毛の問題」で、かつら会社の人から、薄毛の人は派手な色のセーターを着られない、
着たら「ハゲのくせに派手なセーターを着て」と影で言われたり、言われているような気がする、
と言われた村上さん。実際には個人の考え方の問題なんだけど、これは僕もすごくよくわかる。
僕は幸いまだ禿げてはいないんだけど、将来的に禿げたらそうなるだろうし、そもそも昔から
「あいつは不細工のくせにおしゃれしやがって」と言われるのが怖くておしゃれができなかった。
無難な、シンプルな服しか着ていない。カッコ良い服とかも着てみたかったんだけどね・・・。
これは被害妄想では無く体験に基づいたものだけど、まぁ別にわざわざ書くような事でも無いか。
僕は好きな人々には永遠に覚えていてもらいたいと思う。実際は、それは叶わないだろうけど。
「ペンネームをつけておくんだったよな、しかし」で、変わった皮膚科の病院のお医者さんから
「さっき取りたての、すごい強烈な水虫の皮膚があるんだけどさ、ちょっと見ていかない」と
言われて顕微鏡で見せてもらった話、面白いなwww相当変わったお医者さんだ。僕も会いたい。
「一日ですっかり変わってしまうこともある」、僕の場合は失恋や死別がそうだったな、と思った。
特に去年祖母が亡くなった時など。人の死って、いろいろなものを変えてしまうんだなと思った。
エッセイにも書かれているけど、「愛する異性と心を通わせることで、光の輝きや、風の感触が、
昨日までとはまるで違ったもののように感じられる」という体験もしたいな・・・もう無理かな。
外国語を翻訳する時に悩むという「俺と僕と私」の一人称の問題。日本語だとややこしいですね。
ちなみに、これは初めて書くけど、僕の一人称も家では「私」、職場では「僕」、友人の前では
「俺」と分かれています。個人的には「僕」がしっくりくるので統一したいんだけどねぇ・・・。
今さら変えるのが気恥ずかしい。キャラを変えるのと同じくらい難しい。なのでネットでは気が楽。
ネット上では、最初の頃は「僕」だと目立つので「俺」を使っていました。絶クレスレ★2で、
一回だけ「俺」になっている僕の書き込みがあります。もし暇だったら探してみてください。
あと今は、「RM307」としてや企画の主催として書き込む時以外は「自分」と書く事が多いです。
「僕らの世代はそれほどひどい……」では、友人のあだ名だと思い、知らずに被差別部落の
俗称を書いてしまった村上さんの中学時代のエピソードが書かれている。僕も小学六年生の頃、
クラスに内村という女子が居たのだけど、僕がふと思いついて「内村だからうっちーだね」と
言ったら強烈なビンタをされ、「私その呼び方嫌いなんだけど!」と言われた事を思い出した。
それは申し訳無い事をした、と思ってすぐに謝ったのだけど、今思うとビンタするほどの事では
無くない???だって知らなかったんだし・・・と思わないでもない。やれやれ、痛かったなぁ。
しているけれど、もしかしたら僕の言葉で深く傷ついている人も居るのかもしれないな・・・。
一応気をつけているつもりだけど、もし嫌な思いをしている人がいらっしゃったらごめんなさい。
言われないとわからないアホなので、その場合は指摘していただけるとありがたいです・・・。
でも実際はわざわざ教えたりせずに、愛想を尽かして黙って去って行くものなのだろうなぁ。
「果たされなかったもの」については、少し長いので来週以降に月ブログの方で書くと思います。
以上、エッセイの中でもかなり読みやすかったし楽しかったので良かったです。それではまた。
読むのは4回目ぐらい。五年ぶりのはずだけど、かなり内容を覚えていた。もっと最近読んだっけ?
過去のツイートやブログを検索しても該当するものは無かった。それぐらい好きだったという事かな?
今年読んだエッセイの中では一番面白かったように思う。文章も文量もすごくちょうど良かった。
もし誰かに村上さんのエッセイを勧めるなら、最初はこの一冊にしたいと思った。おすすめです。
「もう十年も前のことだけど」の、筑紫哲也に似ているホームレスの人を見た話を何の気無しに
雑誌の担当者に話したら、週刊誌のグラビアにその人の写真が掲載されてしまった話にびっくり。
25年前の事だけど、この頃ってプライバシー無かったんだ!ひどい話もあったものだな・・・。
それとも相手に許可を取ったのだろうか?エッセイ内でそんなふうには書かれていなかったけど。
そうは思えないなぁ。僕も相当ひどい人間だけど、週刊誌の編集者なんて特にろくでもないしね。
「ボートはボート」では、野球観戦中の村上さんが同じファンの友人に悪口を言うのが面白い。
ひどいけど。「ムッ(○○のファンなので悪口を言うとムッとする)」という表現の繰り返しが好き。
「体罰について」の、「体罰が熱心さのひとつの方法論として独り歩きを始めた時点から、それは
世間的権威に裏付けされたただの卑小な暴力に変わってしまう」という部分はよく覚えていた。
殴る事で生徒に何か教えた気になっているとしたら、それは間違いだと思う。体罰は指導では無く、
恐怖によって立場が下の者を支配しているだけのような気がする。人間関係ですら無いよね。
以前もこのブログで書いたけど、一般企業で新入社員がミスをしたら殴る上司がどこに居る?
学校だけそれが許されるというのはおかしい。学校を悪い意味での特別な場所にしては駄目だよね。
僕は幸い叩かれたりした事は無かった(中学生の時に胸ぐらをつかまれた事はあった)けど、
小学六年生の担任の先生が、宿題や教科書を忘れた子を立たせて全員の前で豚鼻にさせる、
という罰はあって、それは嫌だったな。特に女子は可哀そうで、必死に抵抗していた子も居た。
それも今の時代なら体罰に入るかもしれないけど、当時は保護者もその罰を受け入れていたな。
「安西水丸の秘密の森」の、村上さんをクラブに連れて行った水丸さんが女の子とダンスさせ、
その事が誇張されて広まり幾人からがっかりされた、そしてその噂のルーツは水丸さんだった
という話、嫌だなぁw他のエッセイでも水丸さんが妙な噂を流していたと書かれていたけど、
冗談じゃなくて本当にそうだったんだな・・・。真っ先に七靴君の事を思い出してしまったよ。
そんな水丸さんを許している村上さんはすごい。僕は七靴君を笑って許そうなんて思わないな。
僕は自分がやった事を吹聴されるのはまだ良いけど、自分に関する嘘の話や、誇張した話を
されるのがすごく嫌なのだよな・・・。まぁ誰だってそうだとは思うけど。上手く聞き流せない。
まぁ別にわざわざ出向いて否定して回ったりもしないけどね。ブログでは釈明したりするけど。「趣味としての翻訳」では、翻訳は趣味だっと言いきるしか無い部分がある、と書かれている。
以前僕は「自分の中で漫画は仕事、FAは趣味のつもりで描いている」と言った事があったけど、
最近は逆転しつつある気がする。もちろんFAを仕事のつもりで嫌々描いているという話では無く。
それについてはまだ自分でもはっきりしていない部分があるので、いずれまたどこかで書こう。
ゼロから何かを生み出すという作業がどれくらい手間のかかる辛い作業であるかを僕はいちおう身にしみて知っているから、それを一言で「あいつはゴミだ、これはクソだ」と罵って片づけてしまうことはできない。「テネシー・ウィリアムズはいかにして……」に書かれている批評についての話。なるほどな。
僕自身、自分が大した漫画を描ける訳でも無いくせに堂々と商業の作品を批判する事がある。
先日絵板に書いた「五等分の花嫁」と「ぼくたちは勉強ができない」とか。ただ、言い訳に
聞こえるかもしれないけど、この2作品に関しては、ゼロから生み出していない世界、他作品から
寄せ集めたつぎはぎだらけの服を着せられ、ないがしろにされているキャラが可哀そうだった。
まぁ何を言っても言い訳になりそうだからやめよう。どうもすみません、やっぱり僕が悪いです。
『村上新聞社と「〆張鶴」ツアー』では、新潟の村上市にある村上新聞社を訪れた村上さんたち。
「町の新聞」である村上新聞だけど、町が狭すぎるのであまり込み入った話を書く事ができない、
みんなが新聞を取ってくれなくなるかもしれない、広告も出してもらえなくなるかもしれない、
だからなかなか書きたい記事も書けない・・・という話が書かれている。どこも同じなんだな。
大手の新聞社もテレビ局も、結局は購読者や視聴者、スポンサーにそっぽを向かれたくないから、
主な購買層のご機嫌を損ねそうな記事をごまかしたり、スポンサーに忖度した報道をしたりする。
まぁこういう事は別にわざわざ僕が言わなくても、たくさんの人々が指摘しているから良いけど。
「傷つかなくなることについて」は、十代の頃何度も読んで「いつか僕も傷つかなくなるように
なれるだろうか」と思っていた。しかしあれから十年が経ち、今も毎日何かしら傷ついている。
だいたいは絵板に書いているので割愛しますが。それでも感受性が摩耗し、昔と比べたら確実に
厚かましくなっているけど。でもこうでもならない限り、僕は生き続けるのは難しかったと思う。
九年前、FAを描き始めた頃の僕の事をもしも好きになってくださった人が居たとしたら、今の僕を
受け入れがたく感じる事も多いかもしれない。嫌いになって離れていった人もきっと多いだろう。
その事を考えると申し訳無く思うし、昔の(まだ)良い子だった自分に戻りたいような気もする。
しかし好むと好まざるとに関わらず、これが今の僕なのだ。悪いけど、どうか許して欲しいと思う。
もちろん今の自分にあぐらをかいている訳でも、今の自分自身を肯定できている訳でも無いけど。
「文学全集っていったい何なんだろう」のラストはとても重く印象的だ。ここで簡単に解説できる
ものでも無いので、良ければ読んでみてください。僕も村上さんだったらその話は断るだろうな。
でも相手が自殺したなら、ショックでしばらくは何も書けないかもしれない。自殺では無いけど、
二年前、大好きだった作品が削除された時と同じように。村上さんが生きる世界はシビアだ・・・。
「文科系と理科系」の、アメリカの小説に出てきたという「たまたま男性用生殖機能をひとそろい
もって生まれてきたというだけの理由で、どうして車のトランスミッションを修理できると
みなされなくちゃならないんだ」という一文もよく覚えていた。いつか使ってみたいところだ。
僕も若いという理由だけで、アルバイト先でPCに問題が起こった際によく駆り出されていたので。
たしかにPCはよく使っていたけど、エラーやシステムの事を訊かれてもわからないんだよな・・・。
「真昼の暗黒の回転鮨」では、お客さんが少ない時間帯は作り置きせず、注文を取ってから握り
皿を流している回転寿司店でのエピソードが面白かった。たしかにこれは緊張しそうだwww
一人で黙々と食べられるのが回転寿司の良いところなのに、これじゃ回らないお寿司と同じだ。
僕は回らないお寿司を食べた事が無いけど、いちいち職人さんに注文しないといけないなんて
ずっと緊張しそうだなぁ。できれば一人で好きなものを適当に取って気楽に食べていたいよ。
ホテルの部屋に戻って机に向かっても、「まだ今でもあそこでは、黒いベルトが何も載せずに『さあ何にする、次は何にする』とつぶやきながらぐるぐる回っているんだな」と想像すると、それだけで緊張して仕事もうまく手につかなかった。この部分を読んで、先日絵板に書いた工場でアルバイトをしていた時の話の事を思い出した。
僕が言いたかったのもまさにこういう事だったかも。しかし今日はよく絵板の話が出ますね。
そういえば先日くろすけ先生が「15年ぶりに回転寿司に行った」とツイートされていたけど、
僕も最後に回転寿司に行ったのは九年ぐらい前だな。幼なじみといっしょに食べたのが最後だ。
お寿司自体も最後に食べたのは六年前、スーパーのものを祖父といっしょに食べたんだった。
好きなんだけど、高いので自分から買う事はまず無い。どなたか良ければおごってください。
「梅竹下ランナーズ・クラブ通信❸」で、100kmマラソンの練習に明け暮れていた村上さんに、
奥さんが「どーして最近うちには夫婦の会話というものがないのかしら」と糾弾した話、これも
以前も何度もこのブログで書いているけど、羨ましいな・・・と思った。僕も結婚して二十年も
経つ相手に「話したい」と言われてみたい。しかし僕と話したい人なんて存在しないのだった。
「抜け毛の問題」で、かつら会社の人から、薄毛の人は派手な色のセーターを着られない、
着たら「ハゲのくせに派手なセーターを着て」と影で言われたり、言われているような気がする、
と言われた村上さん。実際には個人の考え方の問題なんだけど、これは僕もすごくよくわかる。
僕は幸いまだ禿げてはいないんだけど、将来的に禿げたらそうなるだろうし、そもそも昔から
「あいつは不細工のくせにおしゃれしやがって」と言われるのが怖くておしゃれができなかった。
無難な、シンプルな服しか着ていない。カッコ良い服とかも着てみたかったんだけどね・・・。
これは被害妄想では無く体験に基づいたものだけど、まぁ別にわざわざ書くような事でも無いか。
かたちのあるものはいつか消える。かたちのないものだって、いつかは消えていく。残るのは記憶だけだ。「マールボロ・マンの孤独」の最後の一文。でも記憶すら残らない事だってたくさんあるよね。
僕は好きな人々には永遠に覚えていてもらいたいと思う。実際は、それは叶わないだろうけど。
「ペンネームをつけておくんだったよな、しかし」で、変わった皮膚科の病院のお医者さんから
「さっき取りたての、すごい強烈な水虫の皮膚があるんだけどさ、ちょっと見ていかない」と
言われて顕微鏡で見せてもらった話、面白いなwww相当変わったお医者さんだ。僕も会いたい。
「一日ですっかり変わってしまうこともある」、僕の場合は失恋や死別がそうだったな、と思った。
特に去年祖母が亡くなった時など。人の死って、いろいろなものを変えてしまうんだなと思った。
エッセイにも書かれているけど、「愛する異性と心を通わせることで、光の輝きや、風の感触が、
昨日までとはまるで違ったもののように感じられる」という体験もしたいな・・・もう無理かな。
外国語を翻訳する時に悩むという「俺と僕と私」の一人称の問題。日本語だとややこしいですね。
ちなみに、これは初めて書くけど、僕の一人称も家では「私」、職場では「僕」、友人の前では
「俺」と分かれています。個人的には「僕」がしっくりくるので統一したいんだけどねぇ・・・。
今さら変えるのが気恥ずかしい。キャラを変えるのと同じくらい難しい。なのでネットでは気が楽。
ネット上では、最初の頃は「僕」だと目立つので「俺」を使っていました。絶クレスレ★2で、
一回だけ「俺」になっている僕の書き込みがあります。もし暇だったら探してみてください。
あと今は、「RM307」としてや企画の主催として書き込む時以外は「自分」と書く事が多いです。
「僕らの世代はそれほどひどい……」では、友人のあだ名だと思い、知らずに被差別部落の
俗称を書いてしまった村上さんの中学時代のエピソードが書かれている。僕も小学六年生の頃、
クラスに内村という女子が居たのだけど、僕がふと思いついて「内村だからうっちーだね」と
言ったら強烈なビンタをされ、「私その呼び方嫌いなんだけど!」と言われた事を思い出した。
それは申し訳無い事をした、と思ってすぐに謝ったのだけど、今思うとビンタするほどの事では
無くない???だって知らなかったんだし・・・と思わないでもない。やれやれ、痛かったなぁ。
僕にとってそれよりももっとショッキングだったのは、この世界では人は誰でも、無自覚のうちに誰かに対する無意識の加害者になりうるのだという、残酷で冷徹な事実だった。僕は今でも一人の作家として、そのことを深く深く怯えている。この部分も印象的だった。僕もふだんぺらぺらとTwitterでツイートしたりブログを書いたり
しているけれど、もしかしたら僕の言葉で深く傷ついている人も居るのかもしれないな・・・。
一応気をつけているつもりだけど、もし嫌な思いをしている人がいらっしゃったらごめんなさい。
言われないとわからないアホなので、その場合は指摘していただけるとありがたいです・・・。
でも実際はわざわざ教えたりせずに、愛想を尽かして黙って去って行くものなのだろうなぁ。
「果たされなかったもの」については、少し長いので来週以降に月ブログの方で書くと思います。
以上、エッセイの中でもかなり読みやすかったし楽しかったので良かったです。それではまた。